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心療内科

相談者

心因性の発熱を下げるには?

相談者:ろくさん(23歳/女性)

53歳の母のことです。
母の父が危篤状態で元々ストレスに弱い母が寝込んでしまっています。
38.5度くらいの高熱も出ていますし、ご飯は食べはするんですが味がしないような感じだとか食べる量も少なく、うつ病のような症状も見られます。
内科で診察したところ風邪を引いていることもあって熱が出てるんだと言われましたがショックな知らせを聞くたび熱が上がるので心も関係している気がします。
お見舞いの後はゆっくり寝かせていますが、夜はやはり熱が高くなりますしうつ症状もひどくなってきています。
このような状態で心療内科に行ったりカウンセリングを受けるとどのような治療がありますか?少しは良くなるんでしょうか?
亡くなってからが怖いので今のうちに受診しておいて、少しでも心を落ち着かせたいと思うのですが…。

相談者に共感!

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2016/06/30 23:18

ろくさん、こんにちは。
またのご質問ありがとうございます。
今のお母さまの状況として、心療内科にかかった場合、カウンセリング的な意味合いは少ないと思います。
そのため、心療内科にかかったとしても、良くなる流れにはなりにくいように思います。
まさに現在進行形の看病という大きなストレスがかかってて、お祖父様が亡くなってしまうという予測されうるストレスも受けうるため、このような自然の流れには抵抗することは難しいと思います。
ただ、一概に心療内科にかかることも無駄でもありません。
お祖父様が亡くなってしまった場合、身も心もしんどいにもかかわらず、かなり色々の手続きなどでやらなければいけないことが発生するため、非常に忙しくなります。
そのような状況で心療内科にかかることはさらにハードルが上がってしまいます。
ですので、事前に心療内科にかかっておくことで、お祖父様が亡くなってしまったあとに心療内科にかかる際のハードルを下げておくことにつながります。
いわば、心療内科との顔合わせみたいなものです。おそらく、そこで、こちらのサイトでアドバイスしているようなことを直接、心療内科医から、お母さまに対してアドバイスしてもらえることも期待できるかと思います。
今の状況を少しでも改善させる目的というよりは、お祖父様が亡くなってしまったあとに備える意味合いが大きいかと思います。
ただ、先にもお答えしましたように、思いのほか、お祖父様が長生きしてくれた場合、長期戦の様相を呈しますので、看病する家族も腰を据えて取り組まないといけません。その場合、日々、しっかり寝られておく必要があるので、そのような症状は相談しておく意義があります。
なお、ストレス性に熱が上がりやすくなることはあります。これは、不安・緊張状態が続くことで、体温調節中枢がうまく作動しなくなってしまうためです。ストレスは避けられないので、とりあえずは内科的な対応を受けるで問題ないかと思いますよ。

2016/06/30 23:34

相談者

ろくさん

昨日からありがとうございます。
祖父が悪化していくと同時に母もストレスで弱ってきているのでどうにか少しでも落ち着ける方法はないのか?とずっと悩んでいます。
やはり今カウンセリングを受けたところであまり意味はないのですね。
薬物療法などで不安やストレスを抑えるというのはあまりしない方が良いのでしょうか。
とにかく少しでも気が紛れるようにお笑い番組をつけて笑ってもらうとかわたしが明るく振る舞うとかしているのですがあまり意味はないですかね?
いきなり吹っ切れて元気になるなんてことは難しいと思いますが少しでも気が楽になってほしいです。

私自身精神的に参っている状態なので近々私だけでも相談に行こうかと思います。

2016/07/01 00:09

質問、有難うございます。
心配し過ぎると(ストレスが溜まると)、人はステロイドという、「ストレスに対抗するための防衛手段」を体内で取り始めます。
このステロイドは、実は免疫力(ウイルス・細菌への抵抗力)を弱める効果も持ち合わせます。

御本人さん(質問者)も、御本人さんの母親も、今のままでは、免疫力が落ち、大きな病気を患ってしまいますよ。
残念ながら、自分の周囲には、御本人さんの母親ほど、「亡くなる可能性が有る方に合わせて、体力が落ちていく」人を見た事が有りません。
アドバイスとしては、「人はいつか亡くなるのだから、いつまでも感情的にならず、未来を見て下さい。」というくらいです。
悲しみに暮れている人には見えないのかも知れませんが、御本人さん達は過度に悲しむ事で、本当に得られるはずの「幸せ」を取り逃がすかも知れませんよ?
その事を残念には思いませんか?

お二人には、仮に厳しい言葉を受けたとしても、その事をバネに、強い気持ち(心)を持って欲しいと思います。なぐさめだけが、悲しみを癒す方法では無いですよ?

回答は以上です。
他に疑問が有りましたら、気軽に相談して下さい。

2016/07/01 00:25

相談者

ろくさん

ありがとうございます。
私もそう思っています。
なのでなんとか落ち着いて、受け入れて、乗り越えてほしいのです。
同じようなことを言って前向きになってもらおうとしましたが、どうしてもそういう考え方にまだなれないようで、どうしたら…と悩んでいるんです。

2016/07/01 00:34

質問、有難うございます。
同じ事を思っていらっしゃるのは光栄ですが、評価「1」では、納得されていないのかな?と思います。

自分は「心療内科の産業医先生」のような、優しい言葉は掛けません。
何故なら、お二方に今、優しい言葉を掛けては、「本当におじいさんが亡くなった際」に、お二方は立ち直れなくなると感じるからです。
これは、数多くの「御遺族の姿」を見てきた自分の臨床的な直観です。
自分も好き好んで厳しい言葉を掛けたくないですが、「心療内科の産業医先生」のような優しい言葉だけでは救われない状況は有ります。
よく考えて下さい。
お二人が今後生きていくのは、「厳しい社会」ですよ。
いつまでも、おじいさんの死に対して悲しみに暮れているお二方を、周囲がどのように対応する(感じる)かを想像して下さい。

おじいさんが亡くなってから数か月くらいは周囲も優しい目で見てくれると思います。しかし、数年後も悲嘆に暮れている状況ではどうでしょう?
周囲は、「いつまで悲しんでいるの?」「貴方、大の大人でしょ。いい加減に立ち直りなさい。しっかりしなさい。」となりますよ。
その時も、お二人は「傷ついた」と、現在のような姿をさらすのですか?
立ち直り、再度歩み始める事で得られるかもしれない幸せを、不意にするつもりですか?

仮に大切な人を失ったとしても、人は必ず「踏ん切り」をつけなければならない時が来ます。
「踏ん切り」がつけられるくらい、強い人でいて下さい。

回答は以上です。
昨夜もそうですが、自分は評価はあまり気にしないようにしています。
今回に限っては、率直な意見を述べたいと思うからです。
他に疑問が有りましたら、気軽に相談して下さい。

2016/07/01 00:47

相談者

ろくさん

この状態でどうやったら強くなれるのか?が知りたかったので不満1にしてました。
母に強くなってほしいということを言おうかと思うのですが何か効果的な言葉や方法はありますか?
精神的に弱っているので追い詰めるようなことはしたくありませんが、どうにか強い心を持ってもらいたいです。

2016/07/01 01:19

質問、有難うございます。
質問内容を拝見して感じていた疑問が一つ有ります。
母親さんは、祖父(母親の父)に特別な思い入れが有るのでしょうか?
自分には、母親さんが祖父に「依存している(甘えている)」ように感じます。

自分の両親はまだ生きていますが、もし自分の両親が同様の状況になっても、「回復して生きながらえるのも、回復できずに死に至るのも、本人の定め」と思い、諦めがつきそうな気がします。(勿論、ここまで割り切れるのは医療関係者のためかも知れませんが。)

自分があえて言葉を掛けるなら、「祖父が死んでも、母親の人生はまだ終着点には来ていないのだから、恥ずかしくないように懸命に生きなければならない」とか、「いつまでも悲しんでいるようでは、祖父も未練が断ち切れずに、成仏できないよ」といった所でしょうか?
「お亡くなりになった人の姿は、遺された家族の心の中に有る。貴方が忘れなければ、祖父は完全に死んだ事にはならない」といった言い方も有ります。

しかし、いずれを話しても母親が聞く耳を持たなければ、言うだけ空しいですね。
どうしても聞く耳を持たなければ、引き続き「本人の気が済むまで、好きな事をさせる」で良いです。
悲しみのあまり衰弱死するのも、悲しみから立ち直って、止まっていた時間を動かすのも、本人次第です。

回答は以上です。
他に疑問が有りましたら、気軽に相談して下さい。

2016/07/01 01:38

相談者

ろくさん

依存はしてないと思います。
ただ、元々体力もあり、元気で明るかった祖父なので私もいきなりこうなったことを受け入れるというのは酷だと思います。
母はかなりストレスへの耐性が低いのだと思います。
九州にいるのですが、地震があった際でも母は一時的にですが気分が悪くなり(被災地でない県です)落ち込んでいたので、心配性でくよくよしがちな性格なんです。私も同じなのでよくわかりますし、どうにかしなくてはこの先生きていけないと思っています。
明日メールで伝えてみようかと思います。文章の方が読み返し、じっくり考えられるかと思うので。
ただ、私の言葉だけで変われるものだろうか?とも思います。やはり、カウンセリングなどで治療を受けたほうが効果的なのではないかと悩みます。

2016/07/01 02:07

質問、有難うございます。
自分の見解としては、「元々の性格は、そう易々とは変わらない」という事です。
地震があった際でも、被災地でない県にも関わらず「気分が悪くなった」という部分が、過剰に心配しすぎている(ネガティブな性格)と考えます。

今回の「祖父の死が近い」という件について、御本人さん達が納得いかない(簡単には受け入れられない)という事は理解しました。
しかし、それは、病気に対する治療が不十分な(後手後手に回った)結果でしょうか?それとも、病気が発見できた時には、手遅れであったという事でしょうか?
前者のように「人為的」な原因なら、医師などに対して「やりきれない」思いを持つ事は仕方が無いと思います。
しかし、後者の場合には、「人の手が届かない」要因と考えます。(もっと早くに見つけたかったと言っても、それは結果論に過ぎません。)

そして、世の中には「仕方が無い」と諦めざるをえない、「理不尽」と思える事が沢山あります。
大震災で無くなった方の御遺族は、御本人さん・母親さんとは比べ物にならない「理不尽」を感じていらっしゃると思います。(なんといっても、遺体さえ見つかっていない方がいるのですから。)

少なくとも、他人の不幸に感化されて「自分まで不幸(落ち込む)」みたいな真似は、止めた方が良いと考えます。
むしろ、「自分はまだ、比較的恵まれた環境に有るのだ」という認識を持つようにして下さい。

この先も理不尽な事は、生きていく限り起こります。その時にも強く生きられる「ストレスに対する対処法」を身につけて下さい。

なお、身内の死に直面した後のカウンセリングについては、多少の効果は認められるかもしれません。
しかし、場合によっては、表面的な部分で終了し、本質的な部分は「癒されない」事は有ります。
おそらく、御本人さん達(特に、母親さん)には、御自身で持つべき死生観がしっかり確立されていないと思います。
それは、身内の死が、あまりにも遠いものであった(身内の死が、もう何十年と無いほど、幸せな人生であった)という事と思います。

御本人さんの質問に何度か回答し、合間合間に考えて出た答えが、上記のように「死生観」です。
仏教・キリスト教と、宗教については様々ありますが、お経・聖書について、お坊さん・神父さんに説いて頂く事で、少しは気持ちが楽になるのではと思います。つまりは、御本人さん達に必要なのは、投薬・心療的なカウンセリングでは無く、「死生観に関するカウンセリング」です。

回答は以上です。
他に疑問が有りましたら、気軽に相談して下さい。

2016/07/01 07:45

相談者

ろくさん

ありがとうございます。
あれから母の熱もだいぶ下がり、微熱程度の熱が夜になるとたまに出る程度になりました。
やはり風邪をひいていたのは事実だったようで、私にも風邪がうつり私も休養中です。
母は現在ほぼ平熱が多いのですが、まだ微熱が出ることがあり、寝たらすぐ下がるのですが微熱が続く=ガンでは…?などと嫌な方向にばかり考えてしまい、もっと重い病気にもなってるのでは?と不安になっています…。

祖父の病気は手遅れだったと言えると思います。ですが、祖父の親戚からは母がよく見ていないからだとか責められることがあるようで、それで余計に精神的に参っているのだと思います。
とくに私がそうなのですが、ほとんど話したこともなかった同級生の死にショックを受けて数日食欲不振になったことがあり(まだ高校生だったこともあるでしょうが)本当に死に関して自分は怯えすぎているし、弱すぎると思います。
母も似たような感じなのだと思います。
死生観に関してのカウンセリングとは普通に心療内科などで受けることもできるのでしょうか。
このままではこの先生きていくのが困難なのでどうにか強くならなくては、と思います。

2016/07/04 23:32

質問、有難うございます。
死生観については、「心療内科」で必ずしも対応できる話では無いと考えます。
これは、どれほど精神科・心療内科の知識を詰め込んでも、カウンセリングの形で「患者さん」相手に行えるものでは有りません。

質問内容を拝見する限りは、母親さんの場合は、「祖父の病気は手遅れだった。それは自分の責任でもある」という部分が重くのしかかっている(後悔の念として形成されている)と判断します。
この後悔の念は、残念ながら、母親さんの今後の人生に影を落とす可能性が高いです。

御本人さん(質問者)は、今から言うような考え方が嫌いかも知れませんが、一応、自分の意見を下記に記載します。
まずは、「祖父の病気については、それが天命であったと解釈する事」です。
手遅れであった事は残念ですが、医療関係者であっても、医療関係者で無くても、「手遅れになってしまった(あの時に気付いていれば)」といった話は一定の確率で存在します。
「あの時にこうしていたら(こうしていれば)」といった「たら・れば」の話は、後悔だけを増幅させ、気持ちの解決に繋がりません。
それよりも、病気を発見できた事を前向きに考える事です。

医療の裏話になりますが、自分は先日、偶然に自分の外来を受診された患者さんで、「進行期の癌」を発見しました。その方は、他の病院(医院)を長期にわたり受診されていたそうですが、そういった「進行期の癌を疑います」という話を聞いた事が無いとの事でした。
「もう少し早く自分の外来を受診していれば」と自分の方も後悔する形になりますが、実はこの受診自体が「事前に予約された受診」では無く、冒頭で書いたように「偶然の受診」であり、もしその日に自分の外来を受診しなければ、その方は、より症状が進行した状態で、それこそ、意識を大きく落とすまで、自分の病気(進行期の癌)に気付かなかった可能性も有ります。
ゆえに、自分の外来を受診する事で、「不幸中の幸いな事に、意識の有る状態で自分の病気を把握し、自分の今後の人生を後悔しないで生きる決心を付ける時間が作れるようになった。」と解釈する事も出来ます。

死の問題を前にして、「発想の転換をしましょう」というのはあまりにも難しい事なのかも知れませんが、それが出来ないと、場合によっては、その後の人生に影を落とす事になりかねません。
母親さんが「祖父の病気が手遅れになったのは自分のせい」と思うのは勝手ですが、発想を転換して「残された時間を、祖父が後悔しないように過ごす方法は無いか」という考え方も有りと思います。
人生は、「どのくらい長く生きたか」では無く、「どのように生きたか(後悔なく、生きる事が出来たか)」と思います。

祖父の立場になって、この点を考えると、「娘が自分の病気について、強く後悔している」という状況は、祖父にとって「後悔無く、生きる事が出来た」に繋がる行為でしょうか?
自分としては、「娘が後悔をしながらも、精一杯、自分に尽くしてくれた」の方が、まだ祖父の「後悔」は軽減されるのではと考えます。

以上、明確な死生観の記載にはなっていませんが、「漠然とした死生観」について記載したつもりです。
正直な話、「死生観」については、お坊さん・神父さんの方が上手に説明できると思います。そのため、綺麗にまとまった「死生観」を聞きたい場合は、お坊さん・神父さんに聞いて下さい。
ただ、自分は今回のような「漠然とした死生観」についても、そのニュアンスを理解して頂ければOKと考えています。

以上、まとまった話になっていないのは申し訳ないですが、ニュアンスは伝わるのではと考えます。
他に質問が有りましたら、気軽に相談して下さい。

2016/07/05 00:37